- 結婚式へ祝電を打とうとして、下の名前を忘れたのに気付き、式場のホテルに電話したら、「個人情報なので教えられません」と断られた。
- 一泊二日のバスツアーでは、今まで乗車時に名札と名簿が配られていたのが、個人情報保護のためになくなり、部屋の貼り紙もなくなった。
- 小学校では、クラスの連絡簿から担任の先生の住所が消え、小学生は先生に暑中見舞いすら出せなくなった。
- 自治体が、個人情報保護を理由に、独居老人に関する情報を民生委員に提供しないので、民生委員は安否確認すらできなくなった。
- 個人情報保護が叫ばれ、住民が地域の緊急連絡網作りに協力しなくなった。
- 競技に出場する生徒が氏名の公表を拒んだため、公式プログラムでは、その生徒の氏名だけが空欄となった。中体連は「氏名公表を義務付ける規約がない以上、法律に従うしかない」としているが、氏名をアナウンスする水泳や陸上競技では、競技そのものが成り立たなくなる。
「場当たり個人情報」から「攻めの情報活用」へ
by 田淵 義朗
SAFETY JAPAN
日経BP社
第6回
過剰な個人情報保護が社会を分断する!
~行政や企業は情報公開拒み、個人は詐称のし放題~
「個人情報保護法」は、本来情報取扱業者のモラルを保ち、より豊かな情報社会を実現するのが趣旨だったはずだ。ところが、施行から半年、情報保護の意味を拡大解釈して情報公開を拒む行政や大企業、ひたすらプライバシーばかりを要求する個人といった醜悪な歪みを生みつつある。モラルなき土壌には法律は機能しない。これでいいのか…。
(2005年9月27日)
http://www.nikkeibp.co.jp/sj/2/column/c/06/index.html
行き過ぎた個人情報保護が問題に
読売新聞の8月20日土曜茶論に「名も知らぬ人と同室 担任の住所ない連絡簿 喜ぶのは独裁者だけ」という記事が載った。個人情報保護法が施行されて5ヶ月余り、市民生活の現場で起こっている混乱ぶりを的確に表した記事なので、ここで紹介したい。
まず、直木賞作家の山本一力氏の話。友人の結婚式へ祝電を打とうとして下の名前を忘れたのでホテルに電話したら「個人情報なので教えられません」と断られた。山本氏は「なぜこちらが身元も明かして祝電を打つためと理由も話したのに、隠す必要があるのか」と怒ったという。
それから、1泊2日のバスツアーの話。今まで乗車時に名札と名簿が配られていたのがなくなり、部屋の貼り紙もなくなった。互いの名簿の住所を見て土地の話で盛り上がったり、撮った写真を交換したりできなくなって、旅の楽しさが半減、同室の人がどこの誰かもわからないまま旅が終わってしまったという。
また小学校では母親が小学1年生の息子に「先生に暑中見舞いを出したい」といわれ、クラスの連絡簿を見たら担任の先生の住所が載っていなくて困ったという。他にも、独居老人に関する情報を自治体が民生委員に提供しない話、地域の緊急連絡網作りに住民が協力しようとしない話など、「なぜこうなるの?」「理不尽だ!」という疑問が全国から続々と寄せられている。
ほかにも、今年8月に開かれた全国中学校体育大会では、主催の日本中学校体育連盟が出場選手の保護者らに氏名を公表していいかどうかの事前確認が行われた。すると、バレーボール競技に参加する男子生徒1人が公表を拒んだ。そして公式プログラムのチーム紹介では、その生徒の氏名だけが空欄となった。
中体連は「氏名公表を義務付ける規約がない以上、法律に従うしかない」としているが、氏名をアナウンスする陸上競技では、競技そのものが成り立たないとして、氏名公表を拒んだ生徒を説得するなどの事態もあったという。
行政や企業、個人の言い訳に使われる
我々の身の回りでこのようなことが起こる原因は、個人情報保護法で「個人情報取扱事業者は、あらかじめ本人の同意を得ないで、個人データを第三者に提供してはならない」(第23条 第三者提供の制限)とする条文に拘束されているからにほかならない。
これに該当する個人情報取扱事業者とは、5001件以上の個人データを過去半年間に一度でも越えて保有した者をいうので、上記のホテルも旅行会社も学校も個人情報取扱事業者に該当するため、こうした対応をしているのである。
しかし法律を杓子定規に当てはめて何でも「これは個人情報だから教えられません」とする状況が蔓延してくると、今度はこれを隠れ蓑にした不正がはびこってくることに、想像を巡らせるべきだ。
行政が身内の人間の不正を公表しないための言い訳、企業が自社に不利益になるから提供を拒むための言い訳、個人でさえ権利主張の道具として使うための言い訳材料に使われるケースが増えている。
脱線事故の遺族にも個人情報保護の壁
この連載の第1回で、JR福知山線の脱線事故が起きた際に安否を尋ねた家族に対して、病院側が入院患者の氏名開示を拒んだ話を書いた。しかしその話よりもっと重いのは、遺族の1人が遺族名簿の提供をJR西日本に要請したことに対して「個人情報なので名簿は渡せない」とした話だろう。なぜ遺族の1人が名簿を求めたのか筆者は知らない。
もし名簿を渡せば、遺族同士が会を結成することは容易に想像がつく。今後の遺族との補償交渉を有利に進めるために、遺族は分断されていたほうがよいので、JR西日本は名簿の提供を拒んだ――と考えるのは穿った見方かもしれないが、あり得ない話ではないと思う。
真偽のほどはわからないが、私がそう思った理由は「個人情報だから名簿は渡せない」とする意図が、先述したホテルや旅行会社と異なっているからだ。要請をした遺族に他の遺族の氏名を教えることは、JR西日本の立場から眺めると第三者に当たるが、法律はそうであっても、遺族は同じ事故で亡くなった者同士、同じ境遇に置かれた者同士である。第三者という法律の条文をそのまま当てはめて、切り捨てることが許されるのか? ぜひ読者の方々の意見をいただきたいと思う。
企業は利益を優先する組織だから、個人情報保護法を盾に組織が個人に相対すれば、個人は対抗できる術を持たない。
経歴詐称し放題の時代
行政や企業の対応ばかり責められているが、一方で、個人の側でもこの法律を道具に使い、権利を主張したり不都合を覆い隠したりできる点も見逃してはならない。
最近筆者が実際に見聞した話なので、推測でなく事実として2つ書いておきたい。1つは、大学で教えている筆者の話。あるとき学生が学生課に怒鳴りこんできて3時間も粘った。「なんで成績表を自分に断りなく親に送ったのか」ということだった。
もし仮にこの学生の学費を親が払っていたら、親にも「見る権利」がある、と考えるのが一般的だろう。しかし、個人情報保護法では、本人に同意なく親といえども提供することは、第三者提供にあたるとして、禁じているのである。法律は確かにその通りになっているが、多くの人は違和感を持つのではないだろうか。この学生は「個人情報保護法」の一部を捉えて、権利利益だけを主張していると映るのも無理はない。
2つ目は信用調査会社の話である。企業は新規採用者の身元調査で、最終面接で残った採用予定者に対して、人物に間違いがないか調査する場合がある。企業側に判断する材料は応募書類と試験、面接での人物評価しか手立てがない。そのため中途採用者の場合、経歴書に基づいて書かれているキャリアスキルが本当かどうか、確認しなければならない。
そこで、以前にその人物が勤めていた会社に問い合わせ、実際に在籍していたか、何をしていたかなどの調査をする必要が出てくるのだが、この際に「個人情報なので教えられません」という回答が多くなって、調査に支障をきたす事態が起こっているという。信用調査会社の社長は「これからは経歴詐称し放題ですよ。大変な時代になった」と話している。
個人情報保護法は個人にとっても隠れ蓑になり得る。今後は、個人が自分を偽っても不利益になることはない、という時代になっていきそうだ。
「場当たり個人情報」から「攻めの情報活用」へ
by 田淵 義朗
SAFETY JAPAN
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